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大阪高等裁判所 昭和54年(ネ)1393号 判決

控訴人 日本製麻株式会社

右代表者代表取締役 中本薫男

右訴訟代理人弁護士 吉川武英

被控訴人 池上忠史

右訴訟代理人弁護士 中村良三

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立

(一)  控訴人の求めた裁判

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(仮執行の原状回復の請求として)

4  被控訴人は控訴人に対し、金一〇四万七〇七五円及びこれに対する昭和五四年八月七日以降支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被控訴人の求めた裁判

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二主張

(被控訴人の請求原因)

1  控訴会社は黄麻繊維並びに各種繊維の紡織、製造、販売等を目的とする株式会社であるが、被控訴人は、大学卒業後昭和四三年四月に控訴会社に雇用され、同五二年二月一〇日に同会社を退職するまでその従業員の地位にあったものである。

2  被控訴人は昭和五〇年五月二〇日から同五二年一月六日までの間、控訴会社のバンコク支店と通称されていたタイ国のサラブリジュートミル株式会社、コンケンジュートミル株式会社(以下、訴外会社という)に出向を命ぜられ、同会社において勤務したが、右出向期間中も控訴会社と被控訴人との間の雇用契約関係はそのまま存続し、給料・賞与についても控訴会社がその支払義務を負担していたものである。

控訴会社が出向者に対する給料・賞与の支払義務を負担していたことは、次の点からも明らかである。

(イ) 被控訴人の出向先である訴外会社は、控訴会社が一〇〇パーセント出資してタイ国内に設立した会社で、その役員はすべて控訴会社の役員・従業員が兼務し、同会社の製品(麻袋)も全部控訴会社に納入され、また、その総務・経理・営業、資材購入その他の業務も控訴会社からの出向社員が担当するといった状況で、その実態は通称どおり控訴会社のバンコク支店であったのであり、被控訴人が訴外会社への出向を命ぜられたのも、控訴会社の利益のためであったのにほかならない。

(ロ) 控訴会社と労働組合との間の労働協約に基づく控訴会社の「出向規定」によれば、海外出向者は出向期間中休職扱いとされるが、その間の給料・賞与は控訴会社が支給すると定められ、また、出向中の住居費、出向者とその家族の傷病療養費、出産費等も控訴会社の負担と定められている。

(ハ) 控訴会社の岩井専務取締役は、被控訴人の帰国直前である昭和五二年一月五日バンコク支店において被控訴人に対し、被控訴人の帰国後未払賃金及び未払一時金を必ず支給する旨言明し、また、帰国後の同月七日、高橋常務取締役も被控訴人に同様の確約をしている。

(ニ) また現に、控訴会社は被控訴人に対し、昭和五二年一月七日及び一〇日の二回にわたって、同五一年九月分の未払賃金一一万三三二七円を、同月一〇日に同五一年一二月二一日から同五二年一月六日までの海外給与一一万三九三五円及び同五一年冬期一時金(第一回分)一二万三五〇〇円を、さらに、同五二年二月一二日に、五一年一〇月分以降の未払賃金の内金三三万九九八一円をそれぞれ支払っている。

3  かりに、出向期間中控訴会社と被控訴人との間に雇用契約関係が存続しておらず、もしくは、控訴会社が給料・賞与の支払義務を負担する定めになっていなかったとしても、控訴会社と訴外会社との関係は前記のとおりであって、控訴会社はいわゆる親会社として子会社である訴外会社の企業活動を現実的統一的に支配管理していたものであるから、訴外会社の債務である賃金・一時金の支払債務は、法人格否認の法理により、控訴会社みずからが負担すべきものである。

4  かりに、以上いずれの主張も認められないとしても、控訴会社の岩井専務及び高橋常務が控訴人に未払賃金及び未払一時金の支払を確約したことは前記のとおりであって、この確約により、控訴会社は、訴外会社の被控訴人に対する未払賃金・一時金債務につき債務引受をなしたものである。

5  ところで、前記出向規定によれば、海外出向者に対する給料は米ドルで支給するものと定められているが、出向者が日本円による支給を請求したときは、各支給日(毎月二八日)の為替レートで米ドルを円に換算した金額で支給するのが労使慣行となっていたので、被控訴人も帰国後、出向期間中の未払賃金等につき日本円で支給するよう請求したところ、控訴会社においてもこれを承諾し、右慣行に従って各支給日の為替レートで円に換算した未払賃金等の額を記載した精算書を作成し、これによって会計処理をしていたものである。しかして、右のようにして円に換算した未払賃金等の額は次のとおりである。

昭和五一年一〇月分給料 二三万一三五八円

同年一一月分給料 二三万二四一七円

同年一二月分給料 二三万一一二三円

同五〇年度冬期一時金 一八万六七五〇円

同五一年度夏期一時金 二五万五五五〇円

同五一年度冬期一時金(第二回分) 一二万三五〇〇円

以上合計 一二六万〇六九八円

なお、控訴会社が同五二年二月一二日に右未払給料の内金三三万九九八一円を支払ったことは前記のとおりであるから、未払給料・一時金の額は、これを控除した金九二万〇七一七円である。

6  よって被控訴人は控訴人に対し、右未払給料及び未払一時金合計九二万〇七一七円並びにこれに対するその最終支給日より後である昭和五二年一月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(控訴人の答弁)

1  請求原因1の事実は認める。ただし、訴外会社への出向期間中雇用契約関係は存続せず、被控訴人は控訴会社の従業員たる地位になかったものである。

2  同2の事実のうち、被控訴人がその主張の期間中訴外会社に出向していたことは認める。しかし、被控訴人が訴外会社に出向した以上、その出向期間中被控訴人と控訴会社との間の雇用契約関係が切断され、出向先の訴外会社が給料・一時金等の支払義務を負担するにいたることは明らかである。このことは、被控訴人主張の出向規定において、海外出向者を休職扱とする旨定められていることによっても裏付けられる。なお、右出向規定は、海外出向者の給料・賞与についても定めを設けているが、これは、出向社員が出向によって従前の待遇を低下せしめられることのないようその額等について規定したものであって、給料等の支払義務者が控訴会社であることを定めたものではない。また、控訴会社が被控訴人に対し、被控訴人主張のように未払給料の一部の支払をしたことは事実であるけれども、これは、被控訴人の立場に同情して好意的に未払給料の一部を立替払しただけのことであって、控訴会社みずからの負担する給料等の支払義務を履行したものでは決してない。

3  同3、4の事実は否認する。

4  かりに控訴会社に未払給料等の支払義務があるとしても、前記出向規定によれば、海外出向者に対する給料は米ドルで支給する旨定められているので、控訴会社としては、米ドルまたは現実に履行する時の履行地の為替相場により換算した円貨で支払えば足りるものである。また、出向規定によれば、在外給与は出向直前の基本給・役付手当・家族手当の一八〇%を円貨で算出して決定するとも定められており、この規定に従えば、被控訴人の場合、出向直前の給与金一二万二九〇〇円の一八〇%にあたる金二二万一二二〇円が被控訴人主張の未払給料の月額となるから、いずれにせよ被控訴人の主張する本件未払給料等の額は多きに失するというべきである。

5  なお、被控訴人は、仮執行の宣言ある本件第一審判決に基づいて昭和五四年八月六日控訴人に対し強制執行をなし、金一〇四万七〇七五円の現金を受領しているので、原判決が取消される場合には、その原状回復として、被控訴人に対し、右金員及びこれに対する金員受領の日の翌日である昭和五四年八月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を命ずることを求める。

第三証拠《省略》

理由

一  控訴人が黄麻繊維並びに各種繊維の紡織、製造、販売等を目的とする株式会社であり、被控訴人が大学卒業後昭和四三年四月に控訴会社に雇用され、同五二年二月一〇日に同会社を退職したこと、被控訴人が昭和五〇年五月二〇日から同五二年一月六日までの間、控訴会社の命によってタイ国にある訴外会社に出向していたことはいずれも当事者間に争いのないところ、被控訴人は、右出向期間中も控訴会社と被控訴人との間の雇用契約関係は存続し、給料・賞与についても控訴会社がその支払義務を負担していたものであると主張し、控訴人はこれを争うので、まずこの点について検討することとする。

《証拠省略》によれば、控訴会社とその労働組合との間で締結された労働協約に基づく出向規定上、海外出向者は、その出向期間中休職扱とする旨定められていること、被控訴人が昭和五〇年五月に控訴会社の命を受けて訴外会社に出向する際、当時非組合員ではあったけれども、右出向については出向規定を適用する旨会社側と合意ができていたことがそれぞれ認められるので、出向期間中も控訴会社と被控訴人との間の雇用契約関係が存続していたことは明らかであるけれども、休職扱とされる出向期間中の給料・賞与等の支払義務を誰が負担するかは、それとは別個の問題であって、雇用契約関係が存続しているから当然に控訴会社がこれを負担するものということはできず、その負担者いかんは、出向に際しての会社と出向者との間の明示的もしくは黙示的合意の内容によって定まるものといわなければならない。そこで、本件出向に際して、控訴会社と被控訴人との間に右給料等の支払義務についてどのような合意が成立したかについて検討するに、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴会社は昭和二二年二月に設立された会社で、前記のとおり黄麻繊維の紡績、製造、加工、販売(米麦包装用の麻袋の製造、販売)を主たる目的とするものであるが、昭和四四年頃からジュート(黄麻)原料の原産地である東南アジアにジュート紡績工場を進出させることになり、同年九月にタイ国のバンコクに現地法人サラブリジュートミル株式会社を設立してその事務所を開設するとともに、同国のサラブリにジュート紡績工場を建設して開業し、次いで同四五年五月に同国のコンケンにもジュート紡績工場を新設し、これを新たに設立した現地法人コンケンジュートミル株式会社(その本店事務所は、バンコク市内のサラブリジュートミル株式会社の本店事務所と同一場所におかれた)の経営する工場とした。

2  そのような経緯で設立された会社であったところから、サラブリジュートミル株式会社の株式の九九・八パーセントは控訴会社が、コンケンジュートミル株式会社の株式の七五パーセントは控訴会社、その他はサラブリジュートミル株式会社がそれぞれ保有し、その代表取締役及び取締役は控訴会社の取締役及び代表取締役がこれを兼務し、経理・営業・資材購入・技術指導等の担当者もすべて控訴会社からの出向社員によって占められ、また、両会社で製造した製品も全部控訴会社に納入し、それ以外のところへ販売するようなことはなかった。このため、控訴会社では右両会社(訴外会社)のことを控訴会社の「バンコク支店」と呼び、会社発行の年報にもその旨表示して、あたかも訴外会社が控訴会社と同一会社の支店であるかのごとく取扱っていた。

3  そのような実情にあったところから、前記出向規定には、「海外出向者は出向任務の重要性をよく認識して自己の業務に精励すると共に、日本製麻株式会社(控訴会社)の代表であることを忘れることなく行動しなければならない。」(第一四条)との定めとともに、海外出向者の給与についての定めも設けられ、出向者の給与は出向直前の給与の一八〇パーセントを米ドルで支給し(第一八条)、定期昇給・ベースアップも国内勤務者と同様の基準で行い、在外給与としてその一・八倍を支給し(第一九条)、賞与も国内勤務者と同様の支給基準に基づいて支給する(第二〇条)ものとされていた。このほか、出向者及びその家族の傷病治療費については原則として保険によるものとし、その保険料は控訴会社が負担するとともに、保険によって治療できない傷病及び出産費等についても会社が負担するものとされ(第三〇条)出向によって出向者の待遇・労働条件に不利益が生ずることのないよう十分な配慮がなされていた。

4  その結果、被控訴人の本件出向中の給料は、右出向規定に基づいて算出された月額七八四ドルと定められ(もっとも、当初は、経理担当者の誤算から月額八二七ドルとされていた)、毎月二八日の給料日にタイ国の通貨バーツに換算して支給されることとなり、また、夏期及び冬期の一時金(賞与)については、その都度控訴会社において決定した額(円貨による)を同様にバーツに換算して支給されることとなったが、右給料及び賞与の支給はすべて、訴外会社がその製品を控訴会社に納入した代金によってこれを行なっていたものであって、控訴会社は、支給すべき額を通知するだけで、給料・賞与として被控訴人らに支給すべき資金を特別に送金していたわけではない。

5  ところで、タイ国内においてはかねてより治安状態等が必ずしも良好ではなかったところ、訴外会社のサラブリ工場、コンケン工場でも昭和四八年頃からしばしば解放ゲリラに工場を占拠されたり、過激なストライキが発生して控訴会社からの出向社員が監禁され、命からがら脱出して帰国したりする事態が持ち上るようになり、やがて紛争が悪化して操業もできず、資産も凍結されてしまうにいたったため、月々の給料の支給も滞り勝ちとなり、昭和五一年九月以降はこれも全く途絶えてしまった。

6  このため、被控訴人としても現地にとどまっていることができず、同五二年一月六日を期して帰国することとなったが、その前日である同月五日、たまたま控訴会社の専務取締役でサラブリジュートミル株式会社の取締役でもある岩井成夫がバンコクに来合わせていたので、同人との間で未払となっている給料及び賞与の処理について話し合ったところ、同人も帰国後控訴会社において必ず精算する旨言明し、これに応じて訴外会社の経理担当者が、バンコク支店名をもって「神戸本社総務部」宛に「池上社員(被控訴人)給料精算の件」と題する書面を作成し、給料は五一年九月分の二分の一まで支給済、賞与は五〇年冬期分から未支給と記載してこれを被控訴人に持ち帰らせることとなった。

7  このような経緯があったのち、被控訴人は同五二年一月六日帰国し、翌七日には「神戸本社」(控訴会社神戸本部の通称)に出社して帰国の挨拶を済ませるとともに、高橋常務に対し前記「給料精算の件」を示して未払給料等の支払を請求したところ、同日とりあえず同五一年九月分給料の未払分の内払として金一〇万円が支払われ、さらに同月一〇日、同九月分給料の残額一万三三二七円、同年一二月二一日から同五二年一月五日までの海外給与一一万三九三五円及び同五一年冬期一時金の第一回分金一二万三五〇〇円が支払われたが、右金額算出の根拠として、控訴会社では、被控訴人の出向期間中の給料月額七八四米ドルをその支給日(毎月二八日)当日の為替相場によって日本円に換算した金額によることとし、未払分についても同様の方法で計算したうえ、これを「池上忠史給料等精算」と題する書面に記載して被控訴人に交付した。この書面によれば、同五二年一月一〇日の右一部支払後における被控訴人に対する給料等の未払分は、昭和五一年一〇月分給料二三万一三五八円、同一一月分給料二三万二四一七円、同一二月分給料二三万一一二三円、昭和五〇年冬期一時金一八万六七五〇円、同五一年夏期一時金二五万五五五〇円、同五一年冬期一時金(第二回分)一二万三五〇〇円(以上合計一二六万〇六九八円)であった。

8  その後、被控訴人は、同五二年二月一〇日に控訴会社を退職し、その直後である同月一二日に、未払給料の一部として控訴会社から金三三万九九八一円の支払を受けたが、残余の分については、その支払をめぐって控訴会社との間で紛争が生じたり、会社が資金繰りに窮したりしたことから、現在にいたるまで支払われていない。

以上の認定事実を総合して考えるならば、本件出向期間中の被控訴人に対する給料・賞与の支払義務は、特段の事情のない限り、控訴会社とは法律上別個の法人である訴外会社がこれを負担するとの合意があったものといわざるをえないけれども、事実上の支店である訴外会社の支払不能などの事情によって同会社がこれを履行することができなくなったときには、出向社員の待遇・労働条件の維持を保障する趣旨から、その分については出向元である控訴会社が被控訴人との間に存続している前記雇用契約に基づいてこれを支払うとの暗黙の合意が出向の際に控訴会社と被控訴人との間で成立していたものと認めるのが相当である。そうすると、訴外会社が支払不能の状態に陥って被控訴人に対する給料・賞与の支払義務を履行することができなくなったことは右認定のとおりであるから、控訴会社は被控訴人に対し、前記未払給料及び賞与の支払をなすべき義務を負うものといわなければならない。

二  ところで、被控訴人の本件出向期間中の給料が月額七八四米ドルであったことは前記のとおりであるから、控訴会社としては、その支払をなす時における為替相場による日本円をもってこれを履行することができるものというべきであるが(民法四〇三条)、訴外会社に出向中の被控訴人の給料が、毎月の給料日(二八日)に前記米ドルを当日の為替相場によってタイ国の通貨(バーツ)に換算して支給するという方法がとられていたことは前認定のとおりであり、かつ、被控訴人の帰国後、控訴会社がそれにならって各月の給料日の為替相場によって被控訴人の未払給料等の額を日本円に換算し、それに基づいて給料精算書を作成して被控訴人に交付したことも前認定のとおりであって、被控訴人においてもそれについて特に異存がなかったことは原審での被控訴人本人尋問の結果からも窺うに難くないところであるから、本件未払給料等に関しては、右のとおりの換算方法によって計算した日本円をもって支払うとの合意が当事者間に成立したものとみるのが相当である。したがって、控訴会社は被控訴人に対し、前記一二六万〇六九八円から三三万九九八一円を控除した九二万〇七一七円及びこれに対する履行期の後である昭和五二年一月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払をなすべき義務があるといわねばならない。

三  以上の次第で、被控訴人の本訴請求は正当であり、これを認容した原判決は相当であって本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条一項によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 唐松寛 裁判官 藤原弘道 平手勇治)

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